モータースポーツについて

モータースポーツの経験を通じて、安全な整備と、安心な運転を提供します!

代表・太田修二とモータースポーツの出会いは、地元で開催されたヒルクライム(クローズドクラス)に参戦して、
クラス一位になったことに始まる。
その後にJAF公認クラブのOCC(オストリッチ・カー・クラブ・東京本部)に所属し、全国のラリーに参戦し、数々のタイトルを手にする。
その後、国内競技で優勝したことから篠塚健次郎と出会う。

篠塚健次郎に憧れてモータースポーツにのめり込んだ

国際ラリーへの参戦を目指し、オーストラリアで開催された、レプコ・リライアビリティトライアルに参戦し、
世界のドライバーが集まる中で、スペシャルステージでクラス一位を獲得する。
その後は、トライアルに参戦して山形県で開催されたダートトライアル選手権のDクラス(改造車)で3年連続総合優勝を獲得する。

篠塚健次郎

大学時代にラリーと出会い、プロラリードライバーとして
ハンドルを握って50年。70歳を超えた現在も生涯現役をモットーに
クロスカントリーラリー、クラシックカーラリー、ソーラーカーラリー等々、
カテゴリーを問わず、海外や国内の競技に参戦し続けています。

三菱自動車の社員ドライバーとして、国内ラリーを総なめにした後、
1974年より海外ラリーに進出。
1986年「世界一過酷なモータースポーツ」と言われるパリ・ダカールラリー出場。1987年総合3位、1988年総合2位、1997年総合優勝。
同時に1991年、1992年にWRCアイボリーコーストラリーでも2年連続優勝して
人気実力ともに日本のラリーの代名詞となる。
世界ラリー選手権(WRC)とパリ・ダカール・ラリーで日本人初の優勝者である。

小川日出生

運転免許取得後すぐにジムカーナやラリーのモータースポーツに参戦し、
1987年からレースに転移。
東北フレッシュマンミラージュレースでは、3年連続チャンピオンを取り、
91年富士6時間(今の耐久レース)にに参戦しクラス優勝。
日本最大・最長の十勝24時間レースは15回連続出場し、
強豪チーム参戦の中で4回優勝する。
スーパー耐久レースは、5回のシリーズチャンピオンを獲得し、
現在はチームオーナー・監督・メカニックの仕事をしています。

モータースポーツの経験を通じて、安全な整備と、安心な運転を提供します!

モータースポーツとの出会いは、地元で開催されたヒルクライム(クローズドクラス)に参戦して、クラス一位になったことに始まる。
その後にJAF公認クラブのOCC(オストリッチ・カー・クラブ・東京本部)に所属し、全国のラリーに参戦し、数々のタイトルを手にする。
その後、国内格式の競技で優勝したことから篠塚健次郎など著名なドライバーとの出会いにより、国際ラリーへの参戦を目指し、オーストラリアで開催された、レプコ・リライアビリティトライアルに参戦し、世界のドライバーが集まる中で、スペシャルステージでクラス一位を獲得する。
その後は、トライアルに参戦して山形県で開催されたダートトライアル選手権のDクラス(改造車)で3年連続総合優勝を獲得する。